雑記(6/29)

By | 2016年6月29日

少しまとまったものを一つ書いた(→哲学の原理(一)大凡の真理)ので、重複するメモ書き類を削除した。

本来はこういうの全部図だからね、書くのって結構面倒くさい。何とかA4で一枚二枚に収まるようにしたけれど、ちゃんと書けてるだろうか。まぁ例によって、気になったらまたちょくちょく修正追加するつもりではある。

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さて、ここでの書き物は勿論、論文ではない事に加えていくつかの重要な理由から文献類は基本的に載せない事にしている。

一つには、書名や著者を出すことによって、それらの対象としていたものではなく、本の話になってしまうからだ。
これは対象から遠ざかり、誤解や虚構といった創作を産み出す第一歩になる。

直線的に、或いは反対方向へと盛大に逸脱してゆく時、当初の目的地へと向かうのは想像を超えて難しい。経験から言えばそれは必ず徒労に終わる。

もう一つには、ガイドブックによる解説だとか、それらの元になっている様々な思想家達の視点からの批判や理解だとか、そうしたフィルターが反って目を曇らせ対象を見えなくしてしまう。これもまた誤解や虚構の基になる。

知りたいのは本の中身や著者の考えではなく、対象そのものだ。対象と観察者の直接的関係、そのために余計なものはやはり省きたい。

創作は生活に彩りを与え、社会を、文化を豊かにしてくれる。それを思えば、それはそれでありなのだが、知ろうとする事とそれ以外の楽しみとはやはり区別されて然るべきだろう。

そしてもっとも重要な事だが、真実やイデアは誰のものでもない。これが普遍性ということだが、哲学とは世界を書物に見立てて読み解く営み(この意味でその書かれた言葉をロゴス、それを読む力をヌースと云う)であり、書物や思想家はその注釈、付箋に過ぎない。読むべき本体はそれらではなく世界そのものであるはずだ。

対象から離れたくはない、本論から逸れたくはない、そして余計な事に拘わりたくはない。これらは同じことだが、そうした理由から、必要がない限り文献類には基本的には触れない事にしている。

 

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