雑記(7/14)

By | 2016年7月14日

空き時間を利用して資格を取得しようと勉強中。先日の模試では、当落線上ギリギリだったのでもっと頑張らないと残念な結果になりかねない。合格率は10%らしいので資格試験としては緩めの方・・・流石に落ちたくないヨ。

ほんの少し前まで全然知らんかった事ばかりだから、覚えては忘れ∞覚えては忘れの繰り返しでも前よりはマシ。もともと覚えるのは苦手だから、とにかく理解してしまうしかないが、馴染みがないからすぐ忘れてしまう(涙)

と、試験勉強はさておいて

今月は久しぶりに何冊か本を読んでいる。全部、日本語のだけど。

『保守主義とは何か』 宇野重規 中公新書2378(2016)

その二項立てからはいい加減離れて欲しいな、というのが感想。進歩主義はリベラルの訳語のつもりだろうか?
西洋国家体系に直面して国家建設を成し遂げ、敗戦と再建とともにドラスティックに国体を改めたように、状況に応じて姿勢を革めるのは保守に矛盾するものでは全くない。

何を保守するのか、何が我々なのか?”柱守って家守らず”なんて事にならんようにと願うばかりだ。

『妖怪学の祖 井上圓了』 菊池章太 角川選書518(2013)

井上については、人々を迷信から解き放ってその正体を見せようとした、という事しか知らず、その一点のみを以って哲学を分ってると評価していた。それ以上の関心は特になかったのだが、ツィートで流れてきたのを機に彼について書かれた本を一冊読んでみた。コメントはその内にでも。

『英米哲学史講義』 一ノ瀬正樹 ちくま学芸文庫(2016)

著者の訳語やイメージではなく、中身でそれが何であるか判断して欲しいというのは尤もな話。そもそそれが哲学の営みなのだし、経験論についての語源的理解も、それが知ろうとする努力という意味であるならその通りと言う他ない。

ただ、哲学上の営みとして位置づけて見ていくのと、個々の思想を見ていくのは必ずしも一致しないから、その辺りで引っ掛るひとは引っ掛るかもしれない。とは言え、核心は論者たちが見ていた対象の方であって、個々の論者の論ではないからここで引っ掛っている様だと、哲学するのは無理だろうから個別の思想研究にでも進んだらいいと思う。

他にも何冊か読んでるけど、それらについてはまたの機会に。

哲学の原理(ニ)は何処で区切るか思案中で、まだ冒頭のメモ書きだけ。

 

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